情緒的な余りにも情緒的な(報道)

新聞やテレビで様々な事件が報道される。すこし前になるが熊谷市で(215.6)で連続殺人事件があった。最初の事件で女性1人、第二の事件で小学生の女の子を含む女性2人、さらに第三の事件を起こしたところで、逃亡の後、逮捕されたと言う事になっている。残酷悲惨な事件であり、当時繰り返し報道されたが、この報道内容が「情緒的あまりに情緒的」なのである。つまり、報道機関がこの事件の残忍性に触れていることは当然としても、その報道の主眼は、この被害にあった女性たちの人柄や常日頃の態度についてであり、付き合いのあった近所の人たちのコメント等をしきりと繰り返し紹介している。要するに、殺された人たちがよい人たちであった、誠に残念であったというところに報道の焦点が置かれている。とくに、この事件の場合、子供を巻き込んだことからその悲惨さを伝えたかったのだろうと思うが、このような報道ぶりを見ていて一つの疑問が湧いてくる。

事件の家はいずれも、どうやら大通りに面していて、犯人は、この一般道路から門を押すように開いて敷地内に入り、そのまま玄関から侵入、事件を繰り返したようなのだ。ということであるとすると、当然一つの疑問が湧く。つまり、これら被害にあった家には「鍵がかかっていたのだろうか?」という点である。だいたい、このような事件の報道を見る・聞く時は、このような事件についてのいわゆる「世間話的な」話題に関心が向く事はやむを得ないとしても、同時に、報道を聞く側の一員として、将来、なにかこのような事件にみずからが巻き込まれないようにするためにはどうすればいいのか、何かヒントというか、このような犠牲を払って学ぶところはないのだろうかと言う観点からの関心が湧く。上に書いたように、この事件の場合、それぞれ事件になった家の鍵、つまり、防犯体制はどうだったのかと言う疑問である。上に述べたように、犯人は、道路に面した玄関の扉を簡単に押すようにして庭に入り、そのまま玄関を開けて侵入していたように見える。この状態で、仮に、門のところか、或は、玄関にも鍵がかかっていなかったとすれば、要するに、これらの住宅の部屋は、ほとんどそのまま大通りに向かって解放されているに等しかったのではないか。ということを「想定」すると、とにかく門のところにも何か簡単な鍵があり、同時に玄関に鍵がかかっていれば、これほど重大な事件とはならなかったはずだ。実際は、そうではなく鍵があったのかもしれないしれないし、それならそれで、防犯的な観点からの事実関係を是非知りたい。むしろ、公共的な性格を持つ報道機関が、このような客観的というか冷静な分析的なポイントの報道もふくめれば、この事件から多くの人がなにかを学べたはずだ。しかし、報道の力点は、くりかえし亡くなった方の近所付き合いや、親切で優しい人だったのと言うような同情的、情緒的なことで終わっている。この事件のNHK報道に関して言えば、防犯体制(あるいは習慣)と言う事には一言も報道がなかった。(しばらくして、なにかこの事件のフォロアップ的なニュースで、「防犯」と言う言葉を聞いたので、注意してみたら、なにかこの事件の後でひらかれた警察官会議で今後の防犯への努力が議題になったと言うようであり、これは当然であろう。)

その後、夜間の高速バスが道路を飛び出し多くの若い人たちが死亡するという悲惨な事件があった。この事件も繰り返し報道されたが、その内容のほとんど或は報道の力点は、なくなった人が若い学生であり、(皆よい子たちであり)誠に残念であったと言うようなところに置かれている。先日も、この事件後の1年を追う報道(NHK)があったが、この事件で犠牲になった学生の遺族会ができたことや、犠牲になった人たちの遺品などを紹介し、亡くなった若い人たちを偲ぶというような趣旨であった。勿論、この気持ちは分かるがーーどうしてもこれらの報道を聞いていて湧いてくる疑問は、この事件に巻き込まれた人たちが、どれくらいシートベルトをしていたのだろうかという疑問である。このとき、しかっりとシートベルトをしていた客はどのくらいいたのか?特に、実際に事故で亡くなった人のうちどれくらいがシートベルトをしていたのだろうかと言う疑問である。シートベルトをしていれば助かったかもしれないし、あるいはこのようなバスの横転と言うような事故となるとシートベルトなどは何の役にも立たないのかもしれない。とにかくこの様な事件の報道から何かを学びたいと思っても、このようななことについては全く報道がないのである。報道では、かなりの人がバスから放り出されて下敷きになった人もいたようなことが伝えられていたが、となるとなおシートベルトの効果について知りたくなり、自分も今後の教訓にしたいという気持ちにもなるが、このような観点からの報道はどういうわけか一切ない。勿論、シートベルトなどは、被害の有無になんの関係もなかったのかもしれないが、少なくとも、なくなったひとのうち何人がシートベルトをしていたのか、その割合は?助かった人のうちシートベルトのおかげであったと言えるようなばあいはどのくらいだったのか?この件で、知人の若い学生にきいてみたりすると、実際、夜行ともなると、寝にくいとかでシートベルトを外してしまう人が多いそうである。とすれば、なおの事、この点に関するなにか分析的、客観的な報道があれば、非常に参考になるし、多数の人に情報を提供するという報道の重要な役割りもより意味深くなるはずだ。
その後、この事件とは直接関係なく、なにか夜間の長距離運転の際のシートベルトが一部改良されるような報道が出ていたが、このような対策は事件に学ぶという意味では当然である。亡くなった遺族の悲しみの報道も分からないではないが、このような重大な事件についてはもっと客観的で分析的な報道もなされるべきだ。

先日、富山で大きな火災が発生した。この火災事件についてはその規模の大きさからみて強い関心を持って見ていたが、ここでどうしても知りたくなるのは、この火災の発生の原因(火元)である。なにか中華料理屋で鍋を空焚きにした状態で外出したのが火災発生の原因だったようだが、なんとか、この辺ももう少し客観的な事実関係を知りたい。勿論、鍋を空焚きにするなどと言う事はあるべきことではないが、ただ、一般家庭で考えて見て、多少空焚きになってもすぐには火災にはならないだろう。すると、なにか油が入っていたというような「事情」があったのだろうーーと言う事ならば、当然ながら、一般家庭でも改めて油の使い方には気を遣うだろう。この辺がもう少しわかれば報道も別の意味を持つ。報道では、焼け跡で、なんとか元の家を帰してほしいと泣き崩れる女性の映像が繰り返されていたが、(勿論これも重要だが)、同時に報道の観点をもう少し変えるべきだ。

さらにもう一つ、報道では、この火事の中で、なにか、全く被害を受けなかった家もあったようだが、それでは、それは何故だったのか、家の構造なのか、材質なのかー見ている人にとっても多少とも参考になるようなことはないのかーーこのような観点からの報道もあってしかるべきだ。

また、この大火災事件の報道を聞いていて、当然知りたくなることの一つは、火災保険の有効性である。一般家庭も多くは火災保険に入っているとおもうが、この保険は実際どこまで実効性があるのか、大体どのくらいがカバーされるか、保証されない部分はどのくらいか、保証されない部分を減らすにはどのような条項に注意すべきなのか、これらもぜひ知りたい。たしか一か月位してから、本件で支払われた火災保険金が10億円程度であったという保険会社の資料を見たことがある。この火災で大体100件くらいが被害を受けたようであるが、そうなると一軒当たり1000万円位の保障と言う事になるが、これが、実際の家屋の再建にどの程度役に立つのかーー詳しいことは当然専門家やその部門の報告書などを見るべきではあるが、やはり、一般報道の中でも多少の言及があってしかるべきだ。

これは、人命にかかわるような事件の報道について、是非、配慮し改善すべき点だ。つまり、なにかこれら事件の報道が、被害者の悲しみや苦しみを伝え、近所の人たちとの絆を呼びかけると言うような情緒的なものに終わらず、もう少し分析的、客観的で、一つの事件或は経験として視聴者の参考になるようなものであるべきだ。(この稿、続く)

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