トランプ3

 トランプ大統領については、その選挙戦の最中から様々な映像が流されてきており、そのたびにトランプの暴言と言うようなことが引用・紹介されてきた。これらを見ているだけで、トランプの選挙戦と言うものが型破りと言うか全くありえないような形で進んできたことがわかる。

これらの映像・発言のすべてを見てきたわけではないが、これらの中で実に衝撃的と言うか、およそ理解を超える場面が報じられていたことを思い出す。それは、選挙戦中のトランプ(候補)の記者会見の場面である。トランプ(候補)は、なかなか公開の一般記者会見をやらなかったらしく、この選挙戦終盤の記者会見は大きく報じられていた。そのなかで、実に驚くべきことにトランプ(候補)が、記者からの質問を避ける場面である。避けるというか、そのテレビの場面では、質問のために手を挙げている記者に対して、私はお前の新聞を相手にしない、お前のところの記事は嘘ばかりだとまさに文字通り指さして批判するところである。勿論、記者の方も、さすがにアメリカのメデイア魂の持ち主というべきか、お前の質問は受けないとトランプが叫び続けても臆することなく、自分はあなたの意見を聞きたいのだ、返事を求める、--と言い続け、これが、トランプの罵声と重なって実に激しいやりとりとなっている場面が報じられていた。このトランプとメデイアとの激しい敵対的な関係は選挙戦の中で見る場面としては実に異常である。つまり、トランプの意見に対して記者が反論し、これに、またトランプが答えると言うような議論の激しさではなく、会見する方が名指しでメデイアを嘘つきと呼び、質問に答えないばかりか、当のメデイアをこの会見から排除しようとしていることの異常さである(思い出してみると、日本では当時の佐藤総理が、最後の記者会見の際、テレビはけしからんとか言ってコップの水をかけ、追い出したという事件を思い出すが、これは、既に辞任決定後の会見であったわけであるから、トランプの異様さとはまた違っている)。

およそ民主主義的な政治体制である限り、政治家(その候補者を含めて)とメデイアとの関係は、決定的に重要である。政治家にとって、このメデイアは選挙民の意向・考え方を知る最も重要なルートであり(勿論、場合によっては世論を操作する上においても)、メデイアとの良好なあるいは(多少敵対的な感じを含みつつも)微妙なバランスをとっていくことが不可欠である。このことは又民主的な体制において政治家を志すもの、或は、逆に、政治に関心を示す投票者にとっても最も重要な要素と言うかリンクである。であるから、記者会見そのものも極めて重要であるとともに、この記者会見が開かれたものでかつ公平でなければならない(少なくともそのような印象を与えなくてはならない)。

こういう観点から見ると、日本の記者会見の中では、ほぼ毎週行われる菅官房長官の記者会見が、筆者の言わばお気に入りスタイルである。内容の点はこの際別問題として、菅さんの会見スタイルーーつまり質問の取り方が実によい。自分のステートメントが終わると、ちょっと目を上げ記者を見回すようなしぐさをしてから、質問をとる相手をちょっと顎で示す。これが実に自然であり、とにかく官房長官はすべてのメヂアに開かれており、相手の選り好みはしていない、この記者とのやり取りは公平なものである、という印象をこの仕草が強く示す。つまり、会見が公開であることが重要であることは勿論であるが、同時にメデイアからの質問はすべて公平に扱われているというスタイルが示されなければならない。

この点、議論を進めれば、現在の「内閣総理大臣記者会見」は何とも異様であり、どうしても違和感がぬぐえない。と言うのは、総理のステートメントが終わった後、それでは質問に移りますと司会者(多分これは内閣官房の事務方の一人と思うが)が、「質問については、私から指名しますので、所属を明らかにして簡潔にーー」と言うようなことを述べ、それではと言って、記者を指名するところ実に異様な気がする。司会者は誰が質問するか当然ながら選べるだろう、というか選んでいるのだーーと思ったとたん、この公開記者会見が実に「間抜けな」ものに見えてくる。当然ながら、(事務方の司会者は記者の名前くらいは分かっているだろうし、だればどんな論調・傾向の人間かくらいは熟知しているはずだから)司会者は、政府側に有利と思われる記者を選んでいるに違いないという感じは必ずしも意地悪な見方ではなく、むしろ自然な見方だろう。実際はそんなことはないのだと言って見ても、このような印象を与える限り、せっかくの記者会見が、「仕組み」としてまったく間が抜けている(そうみられても仕方がない)。

この点、時々報道されるアメリカ大統領の記者会見では(例えば、オバマ大統領の時ものなどなんどか映像を見たが)、大統領が、その場その場で手をあげて指名している。勿論、大統領でも自分の気に入った記者だけを指名しているのではないかとも言えるが(じつは、アメリカでもあらかじめ質問者について根回しのようなものがあるのだと言うようなことを聞いたことがあるが)、しかし、日本の総理会見のように事務方が指名しているのとは全く異なった印象を与える。要するに、形式的に言えば、なにか質問者を指名する乱数表のようなものを使うのが正しいと言う事も言えるが、そこまでいかないにしても、この質問選択は公平に行われているような印象を与えるような工夫が不可欠である。安倍総理の発言自体は、できるだけ自分の言葉でしゃっべっているという印象を与える(この点では実に好感が持てる)が、それだけになぜ、すべてこの裏も表も分かっている「訳知り」の事務方に質問者を指名させるのか、実に残念である。

と言うようなことを考えるのも、このメデイアと政治家、選挙民(テレビを見る人)との関係は民主政体では微妙なものであるとともに決定的に重要であることの一つの例示である。

と考えると、このトランプの態度はただの選挙キャンペーン・スタイルと言う事では済まないはずだ。トランプのこのメデイアに対する態度は、どこかでなにか爆発的な問題(勿論、トランプにとって致命的な)をもたらすに違いない。

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です