旅の人

最近、友人が亡くなった。後で送られてきた葉書によると、友人は自分のメールに最後のメッセージを残していたようで、そこには、「私は(○○日 当日の日付)長い旅に出ました。」と書いてあったそうである。なるほどと思いながらが読んだが、その後、折に触れこの言葉を思い出す。旅に出たのだ。今も旅しているに違いない。長い旅だ。旅と言う事になると、どんな服を着ているのだろうか。イメージとしてはなにか白っぽい感じがするが。荷物は何も持っていないのだろうと思うが、手には杖みたいなものを持っているようにも思えるーーというようなことで、なにか特別な意味を持っていると言うわけではないが、時々、このような思いを感じる。

時に、カソリックの神父の方(イエズス会)と食事をする機会がある、先日、そのような折に、ふとこの葉書の話をした。その時、神父の方は、ーー人間は死んでから、あるいは、死んでしまえばすべてがなくなる、つまり、死ねば全く無になる、と考える人は非常に少ないですね。ーーと言われた。ーーもし、死んですべてが全く無になるということなら、人生、どんなことをしても、どんな生き方をしてもよいことになり、生きると言う事の意味が分からなくなるでしょう。--とも言われた。

というような、事を考えていると、昔見た、ある映画の一場面を思い出す。この映画には、田舎の家庭から独り立ちしていった娘が、折に触れ自分の母親に電話してくる場面がある。娘の方は、生活上のいろいろの問題や悩みをあれこれと電話してくるわけであるが、この中にはいわゆる信仰上の悩みもある。母親は、勿論、これらの悩み事についていつも耳を傾け優しく聞いてあげるわけだがーー
 ある日、突然、その電話の中で、驚愕したような声を上げる。
       ーーエッ、何、そうするとあなたは、無神論者なの!

ここには、信仰上の悩みを聞いてあげているという感じからの飛躍がある。つまり、信仰上の悩みを持つことと、無神論者となることとの間には大きな飛躍があり、これは実に衝撃的な事なのだ。

その後、今度は、この神父の方の言葉が気になる。友人は、長い旅に出たわけだから全く無になったわけではないのではないか。確かにそういう気がするが、それでは、どこへ向かっているのか。勿論、旅はいつまでも続いて、終わりはない。しかし、旅という以上、どこかに向かっているはずだが、どこに向かっているのか。この旅のイメージが時に現れては、又、消えるのだ。

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