グローバルな人材ー国際人

 最近新聞の経済面にしばしば表れる言葉はグローバルな人材という言葉である。特に日経は教育や人材育成に関する様々な報道に熱心なようである。かつては「国際的」と言うような言葉が使われたが、最近はもっぱら「グローバル」という言葉が定着している。しばらく前は、この2つの言葉の使い方に戸惑いがあって、国際的とは、国家の国境を前提にこれを越えた関係を示す。これに対して、グローバルとは、もはや国境意識から離れ、個人の立場から世界的な視野を持つ状態と言うように、両者は意味合いが異なるのだというような注釈が行われていたが、今ではすっかりグローバルが普通になった(もっとも最近の日経で「官民挙げて国際人育成」と言う言葉が使われている)。

と言うことではあるが、この一体グローバルな人材とは何を意味するのか。と考えていたら先日の日経でちょっとした定義が出ていて参考になる。これによると、グローバルな人材とは、グローバルに活躍する企業の中で、さまざまな異文化を背景に持つ人たちと建設的な関係を作り維持し、そのような組織の成果の向上に貢献していける人材、ということのようであり、そう言われれば、なんとか努力してみようと言う気になる。しかし、実際に海外勤務や国際機関などの多国籍な職場で働きまた生活をしてみるととまどうことが多い。

ある時を思い出すのだがーーすでに国際機関に長く勤務する日本人と出張旅行をしたことがある。このとき何かの手違いで国際線のファーストクラス待合室が使えないことになった(実は切符はビジネスクラスなのだが一種のサービスのような形でファーストクラスの待合室が使えるアレンジになっていたはずであった)。大した問題ではないとも言えるが、実はファーストの待合室が使えるといろいろと便利

なことが多い、長旅の疲れも違う、と言うことで残念と言うことであったが、このとき、その同僚の日本人は航空会社の係員に激しく抗議を始めた。勿論、英語はほぼ完ぺきで、つまり手違いの非はそちらにある、それを認めよーーーという趣旨である。このとき筆者には、ふと違和感があった。ここまでいわゆる権利主張に走るのはなにか日本人的ではないのではないか、いや、しかし、ここは変に妥協せず相手に抗議を申し立てるべきだ、少なくとも権利はきちんとregisterしておくべきだ、今後のこともあるーいやしかしーー、という具合である。これは些細な例であるが、仕事の上ではもっと様々な場面があり、多少一般化して言えば、グローバルな世界で勤務しあるいは生活をしていると、時に自分はいったいどのように行動すべきか(勿論、日本人として)と考える場面にどうしても遭遇する。やはり、何と言っても国際的な場面で行動しているのだからあまり「日本人として」という枠組みにとらわれず、もっとなにか国際人として行動すべきではないか、という気分がわいてくるが、するとそれは何を意味しているのか、という疑問と言うか悩みである。

夏目漱石の思い出の記の中に、明治の大学に来ていた外国人教師から、もっとも尊敬と敬意を払われていたのは(たぶん漱石のような)外国語教師ではなく、古文や漢文など日本古来の学問に精通する先生方であったという記述がある。外国人から尊敬を受けるのは、下手に英語をしゃべるよりも日本古来の学問・文化・伝統を身に付けた立派な日本人なのだーーと言う趣旨に読めるし、これは現在にも通じる名言と言う気もする。何より日本人としての教養をしっかり身につけ、まずは日本人として尊敬される人にならなければならないーー下手に英語などできなくても、日本人らしく毅然として行動すべきだーーーという感じが伝わってくるところであり、確かになるほどと思う。しかし、実際に国際機関などに放りこまれると、そうもいかない。やはりなにか国際人らしく行動しなければいけないのではないかというような疑問にさらされる。(尤も筆者も経験した大使館勤務の場合は、多少事情は違う。大使館の肩書を背負う場合は、むしろ立派な典型的な日本人であることが期待されるからだ。もっともそれが何を意味するかは別問題であるが)。

先日、日本の総合商社の社長も会長も務めまさに国際的な活躍で成功を収めた人のちょっとしたパーティをかねた講演会があった。これは何としても聞いておきたい。聞いていると、確かに若き頃の活躍から始まり総合商社のトップとしての活躍ぶりには改めて感心する部分が多い。筆者としては上記のような疑問と言うか悩みに対するなにかヒントはないかということが最大の関心事であったが、この観点からふと気がついたのは、スピーチの中でしきりと「和魂洋才」と言う言葉が出てくる。これだなと直感した。やはり悩み、迷っていたのだ。そしてこの「和魂洋才」こそ立派な日本人として尊敬されつつしかも国際的な活躍をするためのキーワードだったのだ。筆者にはこの言葉に込められた思い(実は悩みであったと思う)が痛いほど伝わった。しかし、スピーチの後、簡単なパーティ・会食だったので、筆者はたまたま同席した若い人たち(これから国際的な場にさらされる人たち)に、この「和魂洋才」をどのように理解するか議論を向けてみた。しかし、結論からいえば誰も何も分からないのである。「和魂」はやはり日本人的な道徳観だろう(これについては新渡戸稲造の「武士道」などが一つの参考になる。参考にはなるが、筆者も含めて武士道が今の若い日本人の行動指針になるかという問いに対しては、みんな首をかしげた)。しかし、洋才となるとますます分からなくなる。一つにはたとえば、橋や道路を造るために必要な物理・化学・数学等の実用科学知識のことではないかという意見もあったが、このように西洋の文明を限定的に理解し洋才としてそれだけを受け入れるというような考え方でやっていけるのか。たとえばギリシャ文明、さらにそれ以後の哲学の流れ、さらに、キリスト教、もっと身近な事を言えば民主主義などと言う考え方をどのように受け止めるのか。勿論、このようなことはビジネスには関係ないという意見もあるが、しかし、実際にはいろいろな場面でこのような価値観の違いにさらされるのが国際的なビジネスの場であるーーと言うようなことで、皆も分からなくなり、結局、期待して出席した筆者の疑問もなんとなくヒントを得られず終ってしまった。とにかく、これから国際的な場面で活躍していく若い人たちに「和魂洋才」で頑張れとは言いにくい。

国際機関でもっと日本人を増やすべきである、特にもっと管理職レベルにおいて、という議論がある。これは日本政府も機会あるごとに主張しているところであり、また、一流の国際経済関係の学者も論文などを通じて声高に主張しており、いわば正論ということになっている。言うところは、このように国際機関で日本人の比率が高まれば、日本の意見・あるいは考え方が、その経営にあるいは国際機関が行う勧告など業務のありか方に反映されるであろう。日本が金を出している以上これは当然だと言う論理である。

これほど日本人であることを国際的な場で前面に押し出した議論はなく、これは筆者が国際機関に勤務していた間(たまたま管理職的な立場であったが)常に悩まされた問題である。というのは、次のような現実的な問題がある。

1.それでは、この日本人的な意見・考え方とは何を意味しているのか。もう少しひろくあるいは曖昧に考えてアジア的な手法・考え方と言い換えてもいいが、そうなるとますますいったいそれは何なのか(アジアと言ってもインド、パキスタン、中国、韓国、フィリピン、インドネシアーーー例えば中国は、日本的などと言う考え方になじむはずもなく、フィリッピンは全くと言っていいほど日本人的と言う考え方には理解はないと言うのが筆者の経験である)。

2.もし日本人職員が一団となって国際機関の経営や勧告に影響を及ぼすということになれば、一種の日本人派閥を形成することになるが、これは極めて危険であり、避けなければならない。

特に、後者2は要注意である。まず、仮に、このようにして日本人が集まっても、日本人同士の間でもさまざまに決定的な考え方の違いがある(大変な苦労をして、独立してなんとか国際社会で専門的な地位を獲得し国際機関に就職を果たした有能で独立精神の旺盛な人達。たまたま日本国籍であったとしてもその考え方は全く異なる例は多いし、実際にそのような人たちを見てきた)。確かに国際機関などで、或るアジアの国などは一種の派閥を形成していると見られている場合もある。しかし、これを見ていると実に危険である。勿論、調子のいい時はそのような国籍の人達に阿諛追従が集まるが、同時にこれは情報が偏ることになり、いずれどこかで失策を招き敬意を失うかわからない。このような派閥は形成すべきではない。筆者も、日本人同士で親しくつきあうことは当然であるが、派閥的な動きは絶対にしなかった。

ということは、どういう風に考えたらよいのか。グロ-バルな人材とは、以上のような筆者の限られた経験から考えると、一口でいえば要するに「迷う人」である。日本にくると何となく調子の合わない、奇妙な日本人と思われ、かといって(たとえばアメリカに行けば)外国人の間でも必ずしもなじめない(英語も少しおかしい)。これが筆者の見るあるいは経験した国際人の姿である。しかし、逆にいえば、仮にこのようなことに悩まなくなったら国際人ではなくなるとも言える。すっかり、アメリカ人になってしまえば悩みもなかろうと思う。となると、国際人とは、文化のはざまで迷っている人ということになる、--何とも情けない!!と言う気もする。なにか、新聞の紙面等に現れる国際人という多少華やかなイメージとずいぶん異なる。

後日談がある。このようなことを考えていた時、たまたま中国の現代史(「中国文明の歴史」 中公文庫)を読んだ。中国の現代史は、資料の未発表もあり分からないところが多いらしい。しかし、これらの筆者は資料不足で分からないことを明言したうえでいろいろ推論を述べているところが興味深かった。ということで、もう少し中国現代史の生々しい感じを捉えられないかと思い、それならと考えてパールバックの小説「大地」 を読んだ。この小説そのものについてはともかく、後書きによると、作者のパール・バックは幼少時代は、中国人の家族と暮らし(父親は牧師として活動しほとんど家を空けていることが多かったらしい)ほとんど中国人として育てられた。しかし、結局、アメリカ人と結婚しアメリカで暮らすことになる、という経歴を読んで、これこそ国際人ではないかー両国の文化の懸け橋となるべきーーと興味をひかれた。その後何となくパール・バックの伝記が気になっていたところである。それらの伝記の一つによると、パール・バックはアメリカにいても別の自分の姿を求め、結局、中国と米国のどちらにも属することがなく孤独であったのではないか、と書かれていること(読売新聞 時の散歩 欄)に妙に納得した。

 

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