日曜日ののど自慢大会

 日曜日正午ののど自慢大会は楽しみの一つである。歌のほうは勿論であるが、それぞれ各地域の名物、雰囲気なども伝わってくるところが面白い。かつてハワイでこののど自慢大会が開かれたことがあるが、いわゆる日系アメリカ人と日本人との微妙な違い(姿勢、態度、言葉づかい)も興味深かった。しかし、なんといっても、歌の優劣で、聞いていてこれは駄目だというのもあれば、これはいいじゃないかと思うと金2つとなる。歌のジャンルが、いわゆる歌謡曲から、ポップス、さらには邦楽まであるので、勿論、こちらもよくはわからない。しかし、分からないなりに勝手に評価を下す。これが楽しみである。これはいいと思うのに鐘はならない。アレ!と思う人が合格の鐘を鳴らす。このような経験は、たぶんこのNHKの番組を見た人は誰でも経験するに違いない。とするとこのとき不思議な感情が湧いてくる。この鐘、つまり審査はだれがやっているのか?もう少し厳密にいえば審査の基準はどうなっているのか、その合理性、客観性、中立性は?という疑問である。鐘は秋山さんと紹介されるので、一つの考え方は、秋山さんが決めているとも思うが、秋山さんは見たところイヤーフォンをしており、実はこれを通じて指示が来る、つまり、この指示に従って鐘をたたくだけという説もある。

世界にはいろんな審査会がある。しかし、この審査の基準、少なくなくとも審査員が公表されていないというのは実に珍しい。筆者は毎年必ずと言ってよいほど定期的に(たまたま毎年年末であるが)上野で開かれるリヒャルト・シュトラウス記念のドイツリート選考会を傍聴する。これには必ず審査員が公表され、同席し(中央の最も音の良い場所にすわる)、観客からも見える。名前は公表されている。この点、紅白歌合戦はどういうわけか審査員が公開される。海外の番組を含めて色々な審査会があるが、この審査員が「見えない」と言うのはお目にかからない。審査員は、大体中央の聞きやすいところに位置し、少なくとも見える(場合によっては名前の発表もある)と言うのが国際的なスタンダードである。勿論、このような芸術関係は、全く中立・客観的に優劣を決めることは不可能に近い。が、それだからこそ、少なくとも誰が審査しているか(と言うことは判定の責任者と言うことになるが)はあらかじめ明らかにされる。仮に、こののど自慢に「外人」が入り込んだらどうなるのかなどとも考える。

このように考えをめぐらすと、このNHKのど自慢が不思議で仕方がない。なんとなくこれでおさまり誰も文句をつけない(訴訟・係争になったとも聞かない)。これで丸く収まり、みんな和やかであるーと言うことが不思議である。と言うようなことについて疑問を感じる人がほかにもいると見えて、NHKのホームページにQ&Aがある。これによると専門家である5-6人の審査員は別の部屋にいてモニターで審査し、鐘の数を伝えてくることになっているとか。しかし、別の部屋にいる必要はないし、モニターで見るというのも理解しにくい。会場の一番前にメモか何かを持って座っていればよい。少なくとも名前は毎週公表されてよい。

何事もだれか専門家が適宜うまく公平にやってくれているはずだーそれで安心と言う時代は終わったのだ。日本は変わらなければならない!NHKのど自慢の「見える化」を、透明性を!

年6場所の相撲を見るのは楽しみである。何しろ150キロにちかい巨体が猛烈な勢いで激突する(なにか立ち会いのときかなりテレビから離れていてもゴツンというような音が聞こえてくるが、あれは頭がぶつかる音だそうである)のであるから驚くべきスポーツである。年6場所と言うのもいかにも苛酷で、これでは怪我の治る暇もないように思う。結果としてお互いの星のつぶしあいはすざまじい。となるとここで一つ疑問が出てくる。毎回の「取り組み」は誰が決めるのか。何かバイアスはないのか。勿論、「番付」のほうは場所が終わるたびに委員会が開催されて発表される(これについては相撲協会のHPを見ると説明がある。当然、限られた場所・人数であるので番付が必ずしも完全に客観的な物とはなりえないことも説明されている)。問題は、毎日の「取り組み」である。なぜ、豊ノ島が初日に白鳳と当たるのかという疑問である。だれが決めているのか。少なくともその名前は公表されてしかるべきではないか。

かなり前であるが、この取り組みを決める場面がTVで放映されたことがある。なにか、畳の部屋のようなところに痩せた感じのかなりの年の人が胡坐をかくように座っている。その前に、畳のヘリに沿うように、力士の名前がずらりと並んでいる。すると、その年配の人がサット、ほとんど眼にもとまらない速さで、その下に取り組み相手を張り付けていく。それを何人かの人が首を伸ばすように見ているが、ほとんど何も言わない。これら専門家の間では取り組みの興味・関心・人気のポイント(あすはこの取り組みが見たい)、過去の取り組みの実績などを熟知しているようであり、公平性も踏まえてほとんど瞬時に明日の取り組みが決められていくーーと言うような様子が分かる珍しいシーンだった。しかし、これは一体誰なのか。このような事が、場所の間、毎日どこかで誰かによって行われているのだ。相撲協会のHPが「番付け」について述べるように、完全に中立性や客観性が保証されることは難しいということは理解するとしても、少なくとも誰が決めているのかは知りたいし、公表されてもよいはずだ。たぶん相撲協会のしかるべき委員会が決めていると思うが、そのメンバーは?委員長つまり責任者は?以前に見た新聞の報道によると、この「取り組み」の分析をした人(外国の学者)がいるそうで、やはりある種のバイアスが算出された由。

相撲の世界も国際化が進んでいる。明日の取り組みを誰が決めているのか。相撲の「取り組み」決定プロセスの「透明化」を!

不思議な経験と言えばもう一つ。総選挙が始まるとどう言うわけか渋谷で街頭演説の熱演が行われる。これが不思議なのである。このとき一度渋谷に立ち寄って見るとわかる。つまり、演者は大熱演であるが、何しろ選挙区はまったく違うわけであるから、聞いているこちらは全く何ともいたし方ないという立場に置かれる。言っている事になるほどとひざを打っても、何しろ選挙区は全く違うわけだからどうにもならない。反対!と思っても同じである。つまり、党大会というわけではないわけだから、熱演している当人も聞いている当人もお互いに全く関係がないーあり得ない。それを十分知りつつも、車の上では必死とみえるパフォーマンスが繰り広げられ、聞いているほうは、じっと、良く見ると白けた顔をして聞いている。これは一体何なのか。選挙演説の「合理化」を!

 

 

 

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