クローズアップ現代

 NHKの夕刻番組クローズアップ現代を知らない人はいないだろう。筆者も毎日この番組をチェックすることを習慣としている。それにしても、この担当の国谷アナウンサー には驚く。これだけ広範な現代の様々な、かつ複雑な問題を一人で取り上げこなしていく能力には感服せざるを得ない。聞くところによると、この番組は、実はあらかじめシナリオが決められ(書かれ)ており、出演者はアナウンサーも含めてこのシナリオに沿ってやり取りしているだけだそうであるが、それにしても、国谷アナウンサーの応対は実にこなれている。なにか書いてあるものを読んでいる、あるいは、記憶しているものをなぞっていると言うような「雰囲気」を出さない。つまり、シナリオがあるのかどうかは別にして、すくなくとも自分の言葉でしゃべっているという感じを与えるところに感心する(これに対して、その相手となる方はしばしば書かれたシナリオを前にして何か汗を拭き々必死で読み上げているという感じの人もいて、悠揚迫らぬ国谷アナウンサーとの対比が面白い)。

このあたりのことを考えながら良く見ると、要するに国谷アナウンサーの応対の「間合い」が良いことに気づく。少し話が横にそれるが、人と話をしていて、こちらが話し終わるや否やすぐに相手が話し始めると言うことにはどうしても違和感がある。こちらが(或いは相手が)しゃべり終わったあと一瞬の間合いが必要だ。その間に、相手が話した言葉つまりアイデアが脳の中を素早く巡る。そして過去の自分の経験や考え方等と照らし合わせて、次に話そうという内容が形成されていくというプロセスーーこの間合いが、相手の言葉を考えているという姿勢を感じさせる。国谷アナウンサーがこの「間合い」をとるということは、自分で考えているという印象をあたえる。だから驚く。これだけ多数のかつ複雑な話題について、毎日「考えている」という印象を与えることは並大抵ではない。

と言うことではあるが、実は、クローズアップ現代には不満もある。「今日は0000に大変お詳しい0000さんをお招きしています。」これである。つまり、この番組が基本的に一人の専門家とのやり取りとなっているところが何とも歯がゆい。0000に詳しい方は、しきりと意見を述べる。中には、上に書いたように目の前のシナリオを読むのに必死でまったく自分の言葉でしゃべっていないと言う印象を与える人もいるし、身振り手振りで(シナリオに沿っているのかどうかは分からないが)いかにも自分の言葉をしゃべっていると言う姿勢の人もいる。勿論、後者の方が望ましいが、ここでの問題はこのような事ではない。問題はこの「0000に詳しい方」が(ほとんどの番組について)一人である(補助員と言う感じの記者が出ることは別にして)と言うこと、つまり、このお詳しい方の意見は勿論尊重するが、聞いていて、これに反対の人もいるだろうと思うし、つまり、違った意見も聞きいてみたいということである。言い換えれば、そこには何かしら「討論・議論」がない。これが不満の所以である。お詳しい方とは違った意見もあるはずで、なぜこれが俎上に乗せられないのか。

筆者のように古い年代の人は必ず記憶していると思うが、昔、NHKには「ニュース解説」と言う番組があった。NHKの「ニュース解説委員」と言う人が出てくる。そして、その日のおもなニュースのポイント、そのバックグラウンド、政府などの動きや対応、将来にわたるような問題点などを懇切丁寧に説明してくれる。きっと覚えておられる人も多いと思う。これは夜の10時からのわずか15分間である。筆者も仕事から帰ってやや遅めの夕食を食べた後、この番組には本当に便利をした。わずか15分間でその日の出来事の要点ー問題点、考え方、今後の課題ーーを実に要領よく説明してくれる。毎日、これを聞いて何となく安心して眠る。そんな番組があったのだ。しばらく海外にいたので、いつ頃、この番組がなくなったのか記憶がないが、NHKの解説委員と言うのは今でもあるらしく、クローズアップ現代でも時に出てくるのでオヤと思うことがある。確かに、このかつての「ニュース解説」に比べると、現在のクローズアップ現代は一歩進んだ番組と言える。なにしろ専門家が出てきて国谷アナウンサーが、多分視聴者に代わって質問をするという構成、つまり少なくとも「対話形式」だから、聞いている方でも、こんなことを聞いてみたら、とか、問いに対する答えになっているのだろうか、などと頭を働かざるを得なくなる。これは明らかに一歩前進である。

しかし、どうしても、「たいへんお詳しい方」が一人であるという問題はのこる。

つまり、お詳しい方は大変結構なのであるが、なぜ、ここで、これにむしろ批判的な人を出さないのか。つまり、対談の相手が何故複数ではないのかという点である。専門家の意見は尊重するが、同時に、やはりこれに反論する人の意見も聞いてみたい。以前、非常に珍しい例であるが、ある経済評論家とおぼしき人とある経済研究所の主任研究員とかいう人が、二人で番組に現れた時があり、これは面白そうだと聞いていたら、残念ながら二人の専門家は互いにしきりと肯定しあい、褒めあっている。これでは全く討論にならない。もう一つあるいは二つの違った意見を聞きたい。

ところで、そういえば、リーマン・ショック後、NHKで複数の登場者が出て、アナウンサーが司会するという番組があり、関心を持って聞いたことがある。ところが、どういうわけか、この時の日本側参加者は、一人はコピーライター、一人は為替のデイトレーダーをしているとかいう女性、さらに一人は漫画家であった。この番組では外国からも参加者を出すという趣旨で、テレビの画面の上に窓が開いて参加者が意見を述べることができる(同時通訳つき)という仕掛けになっており、これは面白いと思って聞いていたが、この窓口に出てくる専門家は、一人はウオールストリートで働く敏腕トレーダー、一人はマサチューセッツ工科大学のファイナンス主任教授、もう一人は確かドイツで財務大臣も務めたことのある専門家ということで、日本側の参加者とあまりにも違う。おそらくNHKとしては、いわゆる庶民の声も反映させたいという狙いだったと思うが、これでは残念ながら討論になりにくいというもどかしさがある。

ところで、リーマンショック後、海外メディアを通じる報道もかなりあり注目して見ていたが、大体において、これらは「ラウンド・テーブル」である。もともとは「丸いテーブル」と言う意味であるが、要するに数人のいわゆる専門家が丸く並んで、つまり平等な立場で議論する。議長のようなアナウンサーもいるがこれが主役になると言うことはない。そして、大体、参加者は、ファイナンス関係ジャーナルの編集長、あるいは専門記者、併せて大学教授、専門のライターなどである。これらが、まったく平等に一斉にガヤガヤやる。聞いているこちらは、ややこしくて多少迷惑な感じも受けるが、このラウンド・テーブルという仕組みが実におもしろく、いろいろな違った見方を紹介するというコンセプトでできているらしい。見ているこちらには、話をよく聞いて、その違いを理解し、あわせて自分でも考えなければならないという負担が来るが、これはやむを得ないと同時に刺激的である。

要するにラウンド・テーブルのような意見が聞きたい。0000にお詳しい専門家と言われるような人たちの間の相互のやり取りが聞きたい。とすれば、「クローズアップ現代」もその仕組みあるいはそのコンセプトが変わらざるを得ないだろう。勿論、有能な国谷アナウンサーの役割も全く変わってくる。確かに、昔のあの一日の出来事を、静かに懇切に説明してくれた「NHKニュース解説」は懐かしい。なんとなく安心し納得して一日を終れた。しかし、今や、違った意見を聞いて自分で考える以外にない。とすれば「クロ-ズアップ現代」の仕組みも考え方も国谷アナウンサーの役割も違って来るはずだ。

 

 

 

 

 

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